やりたくないことはやらなくてよし。

やりたくないことはやらなくてよし。

迷惑がかからない程度にふてぶてしく生きよう

家族との死別によってはじめて出会った「死にたい」という気持ち

lonely-woman

わたしは生まれてから今まで計3回ほど鬱病を患いました。

 

今回はそんなわたしの鬱病の遍歴をご紹介していきたいと思います。

 

本当は3回分まとめた記事を書こうと思っていたのですが、文字数が1万文字を超えてボリュームがとんでもないことになりそうだったので小分けにしました・・・。思っていた以上に、自分の、鬱病に対しての熱量がすさまじかったのです。

 

今、この世界の片隅で、同じように鬱病を患いもがき苦しんでいる人たちに、少しでもわたしの経験談が役に立てばという想いを込めて。

 

今日はその第一弾ということで学生時代のお話をします。

 

それでは、どうぞ。

 

1回目のうつの期間

高校2年生の夏〜 高校3年生のいつか

ちなみにこのときは心療内科を受診しませんでした。よっていつ完治したのかは自分でもあやふやです。

 

うつになった原因

身内の死

わたしが高校生のとき兄弟のうちの一人が自殺しました。それまでは能天気に学校生活を送るただの高校生だったのが一変。現実的に起こりうる「死」という存在と直面したのです。

 

このことがあってからわたしは「生きるとはどういうことなのか」「取り残された側の人間はこれからどうやって生きていけばいいのか」悶々と考えるようになりました。

 

精神的ダメージが大きく、親と担任からは学校をしばらく休んでもいいとのことだったので、とくに何をするわけでもなくこういったことを考えながら毎日ぼーっと過ごしていました。

 

しかし、お休みもつかの間。

 

学校を休むにも単位が足りなくて留年しては困るので、放心状態で学校に復帰します。


何か悪い夢でも見ているのではないか・・・?そんな気分で毎日フラフラと登校していたことを覚えています。

 

学校の生徒や、担任以外の先生には「身内に不幸があった」とだけしか伝わっていません。当時のクラスメイトはまさかわたしが鬱病になってしまったとは思わなかったでしょうね。

 

学校生活を送る上で何よりつらかったのは誰でも気軽にジョークとして言う「死にたい」という言葉でした。

 

今はわかりませんが当時は「国語のテスト赤点だったんだけどーまじ死にたいわー」というように死にたい=最悪といった意味合いで言うのが流行っていました。しかも周囲に聞こえる大声で。


このときは毎日学校へ通うだけでも精いっぱいだったのですが、クラスメイトのささいな言葉に敏感になってしまったり、部活の顧問(事情を知らない)に部での活動のことで怒られたりしてだんだんふさぎ込むようになっていきました。

 

死については寝る時も起きる時も学校へ行くときもご飯を食べる時も、一日中考えて考えて考えて、頭の中を離れませんでした。


いままでは「生」しか見ていなかったのに急に「死」が現れてとにかく惑わされていました。

 

そうやっていつ何時も死について考えているうちに「そんなに簡単に死ねるのであればわたしもつらいときに死んでもいいのかな」と、矛先を自分に向けて考え始めたことがうつの始まりでした。

 

学校になじめない

身内の自殺はもちろん引き金となったのですが、根本的な問題として学校になじめないということがありました。

 

前述の一件があったのは高校2年生のとき。当時は休みながら悩みながらもなんとかやっていける自信がありました。なぜかというと当時のクラスメイトには言わなくても分かってくれる心優しい友人がいたためです。


しかし、3年生に進級するにあたってクラス替えというイベントが起こります。このイベントによってわたしはそういった友人と離れ離れになってしまったのです。

 

もはやわたしの身内に不幸があったことなんて知ったこっちゃない。最初は新しい友達を作るために必死こいてがんばっていましたが、あるときわたしはクラスの男子生徒ととあることで喧嘩をしてしまいます。

 

そのことがきっかけとなってクラスでプチはぶりされてしまうようになったのです


まぁわたしのほうから冷たい態度をとってしまったことに原因があるので、はぶりというより自ら一匹狼を気取って強がってしまったという感じですかね・・・

 

当時は愚痴が言えるほど気の許せる友達などおらず、お弁当はいつも一人で食べていたことを覚えています。

 

受験勉強

学校になじめなくても単位をとれる程度に通えばよかったのでとにかくすれすれのラインで授業に出ていました。

 

しかし、学校生活とは別に浮かび上がる問題がありました。

 

それは今後の進路をどうするかという問題

 

わたしは、誰にどうしろと言われたわけではありませんが、ただなんとなく「大学進学」を目指すことにしました。

 

しかし、意外とこれが大きなストレスになってしまうんですよね・・・

 

模試の結果がどうとか、クラスのAちゃんの志望校はあの難関大学だとか、昨日は何時間勉強しただとか、知りたくもない情報が毎日飛び交ってストレスフルな生活を送っていたことを覚えています。

 

こうやって回復しました 

大学の合格

これが一番大きかったです。

 

まず当時のわたしは、大学に行けばなんとかなる、となんとなく淡い想いを抱いていました。受験勉強を進めていくうちに、過去にあった悲しいことや現在の不安よりも、未来への希望が強いことに気がついたのです。

 

それに気づいたわたしは「くよくよしてられない!」と思い立ち、今までうつによって遅れをとっていた部分を取り戻し、なんとか志望大学に合格することができました。

 

大学に合格したことで、今まであったことはすべて黒歴史として切り離して、また1からがんばれそうだ!という気持ちで回復しました。

 

そして、なんとなく決めた大学進学でしたが、なんだかんだ思っていたよりも楽しいところでした。


〇年〇組マジ最高!みたいな高校までのノリが無くて、居心地がよかったです。

授業も自分で好きなコマをとれますし、かなり自由度が高かったです。

 

本当に気が合う友達ができた

サークルに入ることで、今まで上辺だけの付き合いだった人たちが排除されて本当に気が合う友達というものができました。


このわたしの根暗なアイデンティティを理解してくれて、ときにはお酒を飲みながら本音トークができる友達がいるというのは心づよかったです。

 

親の支え

親はいつでもわたしの味方でいてくれました。不登校が続いたとき、毎日うなぎ弁当やら高級焼肉やらを買ってきては元気づけようとしてくれました。


また、わたしが自分から「学校へ行く」と言わない限りは、いつもそっとしておいてくれました。


自分の進路について相談したときは「あなたのやりたいと思ったことをやりなさい」と背中を押してくれました。


親には生涯かけて感謝してもしきれません。 

 

 

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こうしてわたしはこれから充実した大学生活を送ることになります。

 

ちなみに当時のバイブルは南条あやさんの「卒業式まで死にません」でした。懐かしいなあ。

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

 

 

 

次回記事はもう書いてあるので修正しだい公開する予定です。次の鬱は社会人編となります。気になる方はお付き合いいただければなと思います。

 

では。