職場のモラルハラスメントによって引き起こされた2回目の鬱
鬱病の遍歴、社会人編となります。
期間
社会人1年目から約1年間。
原因
職場環境
起床は昼の12時、就寝は夜1時という今までグータラして過ごしていた大学生が社会人になって急に週5勤務で朝6時起床生活を送り始めます。これだけでも毎日会社へ通うのが精いっぱいで、正直つらかったです。
最初の研修時は、同期と切磋琢磨しながら「お勉強」をするため、モチベーションが上がりましたし、何より研修場所であった部署は優しい人たちばかりでなんとかがんばれました。
しかし、配属を経て事態は急変します。
なぜかわたし、全国にある配属先の中でも、最も忙しい部署への配属となってしまったのです。
仕事は煩雑で難しいわ、慣れないうちはお客さんからもクレームがくるわ、だいたいまず仕事が山積みで終わらないわで文字通りてんてこまいでした。
何より一番の悩みはモラルハラスメントをしてくる上司でした。
舌打ち・シカトは当たり前、何かミスるとフロアに響き渡る大きな声で叱咤され、ひとの人格を否定するような言葉を吐いてきました。
日本の企業ではこんなことが当たり前になっているのか?これに堪えることが大人になるということなのか?ていうかそもそも上司としてという以前に人として間違っていないか?
と、毎日とまどいながらも「これは洗礼なのだ。今は堪えよう。」と思い、仕事をがんばっていました。
当時はあまりにも疲労が蓄積しており、夜はごはんを食べたらすぐにソファで眠りこけてしまい、ときには週5でソファ睡眠という生活が続いていました。ちなみにソファ睡眠は身体がバッキバキになり、睡眠の質が下がるのでおすすめしません。
もう、このときから身体はSOSを出していたんです。
ある程度、仕事ができるようになっても上司のモラハラは止まりませんでした。
そんなとき、その問題の上司とペアになって仕事を進めることになります。
モラハラによるストレスは今までの倍以上となってしまいました。
「もう、だめだ。死にたい。」
わたしは自分の存在価値や生きる意味が見いだせなくなり、不眠に陥り、職場へ行けなくなりました。
日々の疲れで友人関係が疎遠になってしまった
精神を病んでいると、休日にリフレッシュしようと思ってたのしいことをしても、何も楽しくありません。どんどん笑顔が少なくなっていきます。
こうしていると何が起こるのかと言うと、友達が減ります。
今まで普通にできていた言葉のキャッチボールができなくなってしまうのです。
そんなことありえないと思いますか?
それが、ありえてしまうんです。
なぜなら頭で考えていることと、実際にやっていることが違うからです。
友達と飲みに行ったり、どこかへ遊びに行っておいしいものを食べているとき、本当に思い詰めている人というものはつねに頭の中で「死にたい。死にたい。死にたい。」とただそれだけしか考えられないようになってしまうんです。
鬱になった人にしかわからない状況かもしれません。
基本的に、何を聞かれても上の空か愛想笑いしかできなくなります。
これを続けていると「最近の○○はなにを考えているのかわからない!もう知らん!」と思われるようになり、どんどん友達が離れていってしまいます。
かなりきつかったです。
自分の意志で精神を病んだわけではないのに、こんなことになってしまって、悔しい気持ちと憤りと落ち込みがぐちゃぐちゃに入り乱れた感情をはじめて味わいました。
こうしていよいよ一人ぼっちの闘いが始まったのです。
こうやって回復しました
はじめての心療内科受診
まずは生まれて初めて心療内科を受診しました。
物腰やわらかなお医者さんに「どうされましたか?」と聞かれ、仕事の話をし始めたとき、今までせき止めていた心のダムが一気に決壊したかのごとく涙があふれてあふれて止まりませんでした。
話すだけでそんなに変わるもの?と思われるかもしれませんが、鬱状態に陥っている人は自分のことを冷静に客観視することができません。
そういった中で、専門的な知識を持っているお医者さんに話をして、これからどうしていくか指南していただくというのはわたしの中で大きな変化でした。
不眠治療のための睡眠導入剤と、不安を抑えるための抗不安剤を処方していただき、治るまで服用しておりました。
休職と退職
お医者さんに診断書を貰い、部長に電話で病状を相談したところ、まずは有給を使って休んでくれと言われました。
言われるがままにぼーっと1ヵ月好きなときに寝て起きて食べて寝る生活を繰り返しました。このときも不眠は続き、とうとう昼夜逆転生活を始めることになります。
1ヵ月経ってもよくならなかったのでそのまま休職の手続きをとりました。休職期間は約3か月でした。この3ヵ月間さまざまなことを考えました。
復帰したらまた元通りになれるのか?
まわりの人たちはあんなに幸せそうに人生を謳歌しているのになぜわたしだけがこんなことにならなえければならないのか?
こんな状態になってしまってこれから生きていけるのか?
など・・・ まぁネガティブ思考でした。
結果としてわたしは「退職」という選択肢をとることになります。
退職に至った理由はたくさんあったのですが、一番心につきささったのは休職中の面談でした。
休職中は病状の様態と今後の職場復帰に向けて話し合うため、定期的な人事面談が必須となっていました。
問題はこの人事の方の対応にありました。
職場での出来事をどれだけしゃべっても何も信じてくれなかったんです。
何か対処をしようともしてくれませんでした。
とどめの一言はこれです。
「わたし、現場でのことはわからないから。」
こんな言葉をのほほ~んと突き付けられ、これでは職場復帰したところでまた同じことになると悟り、退職に至りました。
退職を伝えたとき、人事の方は焦ってましたね。いやいやそんなに焦るんでしたらもっと早く行動してくださいよ。
結果的に「まぁ〇〇さんが決めたことならしょうがないか~応援してますね!」とか言われましたし、最後まで能天気なあきれた方でした。
休職してしばらく会社を離れたことによって冷静になれました。そして会社だけがすべてではないと思えるようになりました。
しかし、不眠症状とトラウマはなくならず・・・
退職後もしんどい状況が続きます。
同僚からのメール
仕事を休みがちになっていたとき、同僚からメールを何件か貰いました。
内容は
「早くよくなるといいね!」
「みんな心配して待ってるよ!」
「とりあえず飲みに行こうよ!」
といったものでした。
きっと同僚は本当に心配していて声をかけてくれたのですが、どれも鬱病のわたしからしたら心の負担になるような内容ばかりでした。
こんなメールがほぼ毎日送られてきて、わたしは爆発し、この同僚にも冷たく当たって邪険にあつかってしまいました。
それ以降、メールは止みました。
「強く言い過ぎたかな。やっぱりわたしはダメなやつだ。」
と後悔し、しばらく連絡を取らない日が続きます。
しかし、わたしの休職が決まったとき、この同僚は1通のメールをくれました。
その内容は今まで自分がしてきたことを謝る旨と、こんなことが書いてありました。
「病気が治るまで何年、何十年とかかろうがわたしはあきらめないからね。またあなたの笑顔が見られることを信じているから。病気が治って落ち着いたら、そのときは連絡をちょうだいね。それまでメールを送りたい気持ちは我慢するから、これからはゆっくり気が済むまで休んでください。」
というものでした。
この文章を読み、わたしは「こんなにも優しくて思いやりのある人になんてひどいことをしてしまったんだろう」と思い、すぐにこちらも悪かったという旨の謝罪メールを送りました。
この同僚とは退職後も交流が続いております。
今までやりたくてもできなかったことを片っぱしからやってみた
退職後は、だんだん行動する気力がわいてきたので、空白の時間に今までやりたかったことを存分にやっておこうと思い立ちました。
趣味へ没頭したり、朝まで漫画を読んだり、貯金が貯まりに貯まっていたので今までお金がなくてできなかった留学にも行きました。
留学そしてホストファミリーとの出会い
中でも初めて自分ひとりで海外へ行って留学したことは、自分にとってかけがえのない経験となりました。
そこで出会ったホストファミリーは第二の家族とも言えるくらい、本当にすばらしい人たちだったのです。
留学中のある日、ホストマザーから家族について聞かれたことがありました。
わたしは日本では自殺した兄弟の話はめったにしないのですが、このときは異国の地にいることもあってポロっと自然に話し始めてしまったんです。
するとホストマザーは「I'm so sorry...」と言った後、涙をうかべてわたしの身体をだきしめてくれました。
なんだか申し訳なくなってわたしもこのとき号泣してしまいました。
そして、「あなたは一人じゃないのよ。日本に帰ったら離れ離れになってしまうけど、わたしたちのことを家族だと思って、つらいときはいつでも遊びに来ていいんだからね。」と言って、わたしが泣き止むまで背中をさすっていてくれました。
ホストファミリーたちとは今でも連絡をとりあっています。たいせつな家族です。
現在の職場への就職
留学してしばらく学生の身になったおかげか、徐々に生活リズムが戻ってきていると感じました。昼夜逆転が半昼夜逆転になったくらいですかね・・・
「就職するなら今しかないな」
そう思って就職活動を始めることになります。
そのときの記事はこちら。
晴れて内定をいただくことができて、社会人復帰しました。
それ以降はしばらくお薬の離脱症状が2ヵ月くらいひどくて、毎日体調が悪い状態が続きましたが、なんとか完全に回復することができました。昼夜逆転も今では起こりません。
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こうしてわたしは2回目の鬱を克服しました。
長い長い道のりでわれながら波乱万丈だったなと思います。